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東京高等裁判所 平成5年(う)259号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役一年一〇月に処する。

原審における未決勾留日数中三〇日を右刑に算入する。

被告人から金九万円を追徴する。

理由

本件控訴の趣意は、前橋地方検察庁高崎支部検察官検事佐藤幸雄名義の控訴趣意書に、これに対する答弁は、弁護人倉科直文名義の答弁書にそれぞれ記載のとおりであるから、これらを引用する。

一  控訴趣意に対する判断

論旨は、要するに、被告人が覚せい剤譲渡の対価として取得した代金九万円は、国際的な協力の下に規制薬物に係る不正行為を助長する行為等の防止を図るための麻薬及び向精神薬取締法等の特例等に関する法律(以下「特例法」という。)一四条一項一号にいう「不法収益」に当たるから、同条項によりこれを被告人から没収すべきところ、その全額が本件覚せい剤の購入代金として費消され、没収することができないので、特例法一七条一項により、その価額を被告人から追徴しなければならないのに、右代金九万円が不法収益に当たることを否定し、追徴を命じなかつた原判決は、右必要的没収、追徴に関する法令の適用を誤つたものであり、その誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、到底破棄を免れないというのである。

1  そこで、原判決を調査して検討するに、原判決は、(罪となるべき事実)として、被告人が原判示日時、場所においてAに対し、原判示覚せい剤約一〇グラムを代金九万円で譲渡した旨、公訴事実と同旨の事実を認定し、被告人を懲役一年一〇月に処する(未決勾留日数中三〇日算入)旨言い渡したが、その(量刑の理由等)と題する項において、本件は、被告人が知人である右Aから覚せい剤一〇グラムの入手方を依頼され、売人B某に入手の可否を聞いてみると返答したうえ、「右Bに連絡をとり、代金は右Aから貰つたものを渡すという後払いの約定で、右Bから本件覚せい剤約一〇グラムを入手してこれを右Aに手交し、同人から受け取つた九万円の代金(一万円札八枚、五千円札二枚)はそのまま右Bに支払つたという事案である。この場合においても、被告人について判示覚せい剤不法譲渡罪が成立することはもとよりであるが、社会的事実としてみると、本件譲渡代金の九万円は、前記Bが前記Aから被告人を介入して受領したものと評価することができ、右九万円の不法収益は最終的に右Bに帰属したものと認められる」旨説示して、不法収益九万円の追徴をしていないことは所論のとおりである。

原判決が「社会的事実としてみると……と評価することができ」るとしているのは、本件覚せい剤の譲渡が「B・A間」で行われ、被告人はその仲介者あるいは使者に過ぎないとの評価を含む趣旨ともみられるが、そうだとすれば、そのことと被告人につき不法譲渡罪が成立する旨の判断との整合性が問われなければならないし、また、原判決が本件不法収益が「最終的に」Bに帰属したとする趣旨も、曖昧である(後記4c参照)。

2  そこで、進んで原審記録を調査し、本件の事実関係につき検討するに、原判決挙示の関係証拠によれば、次の事実が認められる。

a  被告人は、かねて埼玉県蕨市内のサウナ「甲野」蕨店で知り合つたAから、覚せい剤があつたら分けて欲しいと依頼され、平成四年七月上旬から中旬にかけて、二回ほど、覚せい剤約一グラムを代金一万七〇〇〇円から二万円で譲渡したことがあつた。

b  そのうち、被告人は、交通事故に遭い、同県川口市内の乙山病院に入院していたが、同月二五日ころ、同病院を訪れたAから「覚せい剤が欲しいが、一〇グラム纏めて引けば幾らになるか」と尋ねられたので、「一〇グラムならグラム当たり九〇〇〇円でいい」旨答えると、Aは「一〇グラム欲しい。手に入つたら連絡してくれ」と言つて連絡先の電話番号を教えて帰つた。なお、Aは、被告人から覚せい剤の入手先や、そことの連絡方法については一切知らされていない。

c  被告人は、早速売人のB某と連絡を取り、西川口駅付近の路上で同人と落ち合い覚せい剤約一〇グラムを、代金は九万円、支払いは売却先から代金を受け取り次第行うとの後払いの約定で購入し、Aに電話連絡した上、サウナ「甲野」蕨店近くの原判示公園で、同人に対し右覚せい剤約一〇グラムを代金九万円と引換えに交付して譲渡した。その際、被告人は、同人に対し「ちよつとネタを貰つていいかい」と言い、同人の承諾を得て、右覚せい剤の中から約二グラム程度を抜き取り、これを自己のものとした。その後、被告人は、右九万円をBに支払つた(ちなみに、弁護人は、独自の調査によれば、被告人は、まずAから覚せい剤の購入を依頼されて代金九万円を受け取り、その直後にこれをそのままBに渡して本件覚せい剤を受領し、これをまた直後にAに渡したというのが真相であるように窺われる、と主張するが、記録上所論に副う事実を認めるべき証拠はない。)。

以上の事実関係に照らすと、被告人が、Aに対し本件覚せい剤を譲渡した旨の原判示罪となるべき事実は優にこれを肯認することができる。

そして、被告人が、代金後払いの約束でBから本件覚せい剤を受け取り、これをAに交付して同人から代金九万円を受け取り、これをBに交付した経過は原判示のとおりであるが、「これを社会的事実として」みても、原判決のいうように「本件譲渡代金の九万円は前記Bが前記Aから被告人を介して受領したものと評価すること」も、これが「最終的に右Bに帰属したものと認め」ることもできないのであつて、本件覚せい剤は被告人が取引の当事者としてAに譲渡し、その代金として九万円を受領したものと認めるのが相当である。被告人がBから本件覚せい剤を入手し、その代金としてAから受領した九万円全額を支払つた事実があるとしても(ちなみに、被告人がAに対し、B某と連絡や交渉もしないうちから本件覚せい剤の代金を九万円でよいと明言していること、本件覚せい剤を代金九万円でBから入手したというのは、被告人が述べているのみであつて、B某なるものは検挙されておらず、その実在すら確定されていないことからすると、かかる事実の存在自体にも疑問の余地がないではないが、さりとてこれを否定すべき証拠もないので、そのような事実があつたことを前提として判断する。)、それは「被告人・A間」の本件覚せい剤譲渡とは別個の取引であつて、二個の取引を一体のものとして「B・A間」の取引と評価するのは早計に過ぎる。Aは、被告人が本件覚せい剤を他の者から入手してくるとは聞かされていたものの、それがBであることは知らされておらず、同人との連絡方法も知らないまま、直接にも間接にも同人と接触していない。また、被告人は、Bに対し、代金は売却先から入手次第支払うと言つているが、誰に売却するかは明らかにしていないのであつて、これらの状況からすれば、直接的にはもとより、被告人を介して間接的にも、「B・A間」に本件覚せい剤の取引が成立したものとみることはできないのである。付言すれば、Aは、被告人に本件譲渡代金を支払えば被告人との覚せい剤取引上の債務を完全に履行したことになるのであつて、受領した代金を被告人がBに支払うか否かは関知するところでない。それは「被告人・B間」の取引上の問題であつて、たとえ代金支払の不履行があつたとしても、Aにおいてその責に任ずるような事態は起こり得ない。他方、Bとしては、被告人から遅延なく確実に譲渡代金を受領できさえすればよいのであつて、被告人がその資金をどこで調達するかは関係のないことである。被告人が、代金は売却先から貰つたものを渡す旨、後払いの約束をしているのは、同時履行以外で最も早く確実に履行するにはそうするのが便利であるという以上の意味を持つものではない。原判決は、被告人がAから受け取つた代金の金種(一万円札八枚、五千円札二枚)まで判示して、これをそのままBに支払つたという事実に特段の意味があるかのように論じているけれども、右金員は、「封金」として託されたものでもなく、特定の用途を指示して交付されたものでもないのであつて、その処分は被告人の自由裁量に委ねられており、これをそのままBへの支払に充てようと、自己の用途に費消し、別の資金でBへの支払をしようと自由なのである。それ故、原判決は、本件取引の実態について、事実の評価を誤つているといわなければならない。

3  そこで、本件覚せい剤は、被告人が代金九万円でBから入手し、代金九万円でAに譲渡したという事実関係(以下Aに対する譲渡代金を「本件譲渡代金」という。)を前提に「不法収益」の存否につき検討する(なお、被告人は、前示のとおり、Aから本件覚せい剤のうち約二グラムを報酬として貰つているが、原判決の指摘するように「その正確な分量も価格も不明であ」り、論旨も、これを不法収益として没収ないし追徴すべきことを主張していないので、この際、検討の対象から除外することとする。)。

特例法は、一四条一項一号において「不法収益」(二条二項六号、七号に掲げる罪に係るものを除く。)を必要的没収の対象とし、これを没収することができないときはその価額を追徴すべきものとしている(一七条一項)。

そして、特例法二条三項によれば、右「不法収益」とは、「薬物犯罪の犯罪行為により得た財産」その他をいうものと定義されているところ、同条二項五号によれば、本件のような覚せい剤取締法四一条の二の罪が右「薬物犯罪」に当たることは明らかである。

ところで、本件譲渡代金は、被告人がAに対し覚せい剤約一〇グラムを譲渡した対価として同人から受領したものであるから、まさに「薬物犯罪の犯罪行為により得た財産」であつて、特例法の必要的没収の対象となる「不法収益」に当たるものと解するのが相当であり、その全額がBに対する購入代金の支払いに充てられて現存しない以上、これを没収することができない場合として、その価額九万円を被告人から追徴すべきものである。したがつて、被告人に対しその追徴を命じなかつた原判決は、法令の適用を誤つたものであり、その誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、破棄を免れない。

4  これに対し、弁護人は、答弁書において、被告人から右価額を追徴することは許されず、原判決に法令適用の誤りはないと主張する。その理由は、本件譲渡代金の受領は特例法二条三項にいう「不法収益」に当たらないというのであつて、その論拠とするところは、更に次の各点に分かれている。

a  所論は、まず、刑法一九条一項三号の「犯罪行為……ニ因リ得タル物」については、たとえば財産犯罪によつて得た賍物、鳥獣保護及狩猟ニ関スル法律違反により捕獲した鳥獣などのように、これを「得る」こと自体が犯罪の構成要件要素となつている場合に限ると解されているところ、同様の表現をしている特例法二条三項の「犯罪行為により得た財産」についても、これと同様に解すべきであつて、本件の覚せい剤譲渡の罪のように代金を得ることが犯罪の構成要件要素とされていない場合の代金はこれに該当しないと解すべきである、という。

なるほど、刑法一九条一項三号の「取得物件」について、これまでの判例や講学上の設例に現れているところをみると、当該物件の取得自体が犯罪行為を構成する場合が多いことは、所論のとおりである。しかし、そのことは、必ずしも所論のような解釈を前提とするものとはいい得ない。同号は、いわゆる生成物件について「犯罪行為ヨリ生シ」と規定しているのに対し、取得物件については、これに「因リ」得たる物と表現しているのであつて、そのことは、犯罪行為と物の取得との間に因果関係の存することを要する趣旨を表したものと解され、必ずしも当該物の取得自体が犯罪行為を構成することまで要求したものとは考えられない(ちなみに、収賄罪において、贈賄者から借り受けた金員は、刑法一九条一項三号の取得物件として没収、追徴の対象となる旨の判例があるが、この場合、収賄罪の賄賂を構成するのは金融の利益であつて、借り受けた金員そのものではない。最高裁昭和三三年二月二七日第一小法廷決定・刑集一二巻二号三四二頁、同昭和三六年六月二二日第二小法廷決定・刑集一五巻六号一〇〇四頁参照)。なお、特例法二条三項においては、犯罪行為に「より」と仮名文字で表記されているが、その意味は刑法におけると同様に解してよいと思われる。

覚せい剤譲渡の罪が有償の場合と無償の場合とを含み、対価の受領を犯罪成立の要件としていないことは所論のとおりであるが、有償の場合についてみれば、覚せい剤の譲渡と対価の交付とは反対給付の関係にあり、対価の取得は譲渡行為の直接の結果ということができる。してみると、本件譲渡代金は、原判示覚せい剤譲渡の「犯罪行為により得た財産」に当たるというを妨げない。特例法の解説を記載した文献が、こぞつて「譲渡した規制薬物の対価」を「不法収益」の典型的な例として掲げているのも、これと同旨の解釈によるものというべきである。

b  所論は、次に、刑法一九条一項三号、四号が「犯罪行為……ニ因リ得タル物」と「対価」とを明確に使い分けていることから明らかなように、覚せい剤譲渡の「対価として得た金員」と「犯罪行為により得た財産」とは異なる概念であつて、両者が当然に一致するとの前提で展開する理論は基本的に誤つている、と主張する。

しかし、刑法一九条一項四号に規定しているのは、「前号ニ記載シタル物」すなわち生成物件、取得物件及び報酬の「対価トシテ得タル物」も没収の対象とするということであつて、取得物件の中に犯罪行為によつて譲渡した物の対価を含むかという問題とは、次元を異にすることが明らかである。所論は採るを得ない。

c  所論は、また、原判示のような事実関係(前記1の中の原判文引用部分参照)の下においては、本件譲渡代金は、いわば「預り金」のような性質を帯び、被告人が犯罪行為により「得た」財産とはいい難い、と主張する。

たしかに、原判決がいうように、本件譲渡代金が、被告人を仲介者ないし使者としてAからBに交付されたものと評価できるのであれば、所論のような解釈もできないではない。しかし、そのような評価の誤りであることは、前記2に説示したとおりであつて、本件譲渡代金は、「不法収益」として被告人に帰属したことが明らかである。原判決は、本件「不法収益」が「最終的に右Bに帰属したものと認められる」旨説示しているが、本件では、被告人とBの両名につき、それぞれ別個の「不法収益」が発生、帰属したとみるのが相当である。所論はその前提を欠き、採用の限りでない。

d  所論は、更に、特例法が、譲渡人に利得を生じたか否かを問わず、覚せい剤譲渡の「対価」ないし「譲渡代金」そのものを没収、追徴するという趣旨ならば、むしろ直截にその旨を規定した筈であるのに、同法が不法「収益」という用語を使つているのは、同法による特例は、薬物に係る不正行為により「利益」を挙げる者に対し適用する趣旨を示すものと考えるべきである、と主張する。

しかし、「収益」という言葉は、法令用語としては、原価、費用、損失を控除した後のネットの「利益」を示すものではなく、これらを控除する前の売上金その他のグロスの収入を意味する概念として用いられることがある(たとえば、法人税法二二条一項ないし三項参照。なお、民法二〇六条はこれとやや異なる用例に属する。)。特例法二条三項の「不法収益」についても、規制薬物を最終の所持人から没収する場合に、その者が当該薬物を入手するために支払つた原価、費用を控除すべきでないのと同様、その前段階の関与者から薬物の対価を没収、追徴するに当たつても、右対価を獲得するために支払つた原価、費用を控除すべきでないことは、その立法目的に照らし自明の理に属するのであつて、所論は独自の解釈というほかない。

なお、所論は、規制薬物が転々譲渡された場合、各段階における譲渡者から対価全額をそれぞれ没収、追徴できるとすれば、その総額は没収の対象となる当該薬物の価額の数倍、数十倍に及ぶことも想定され、そのように国家が不当に利得することまで特例法が定めたものとは解されないという。

所論が、「国家が不当に利得する」という趣旨は定かでないが、当該薬物の価額を超える金額を没収、追徴することは不当であるとの前提に立つものとすれば、「収益」のみならず、所論「利益」ですら没収、追徴することができないこととなり、到底容認することはできない。特例法は、国際的な協力の下に薬物犯罪から生じる不法収益の循環を断ち切ると同時にこれをはく奪することによつて薬物犯罪組織を潰滅させようとする「麻薬及び向精神薬の不正取引の防止に関する国際連合条約」を国内的に実施するために制定されたものであるところ、規制薬物が転々譲渡された場合には、譲渡の回数に応じて、それだけの不法収益がそれぞれの関与者の下に発生しているのであつて、これらをはく奪し、不法収益の循環を断ち切る必要のあることは論を俟たない。この場合において、没収、追徴すべき金額の合計が、没収されるべき薬物の価額とこれらの不法収益とを合計した総額を上回ることはあり得ないのであつて、「国家が不当に利得する」事態は生じない。

e  その余の弁護人の所論を検討しても、前示3の判断を覆すに由ないものというべきである。

5  叙上の次第であつて、原判決が本件譲渡代金九万円の価額につき没収に代わる追徴の言渡しをしなかつたのは、特例法二条三項、一四条一項一号、一七条一項の解釈適用を誤つたものであり、右誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかである。論旨は理由がある。

よつて、刑訴法三九七条一項、三八〇条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に従い、被告事件について更に次のとおり判決する。

二  自判

原判決の認定した罪となるべき事実に原判決と同一の罰条を適用し、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役一年一〇月に処し、刑法二一条を適用して原審における未決勾留日数中三〇日を右刑に算入し、本件譲渡代金九万円は、前示のとおり被告人が判示薬物犯罪の犯罪行為により得た不法収益であつて、その全額を没収することができないから、特例法一四条一項一号、一七条一項に従い被告人からその価額九万円を追徴することとし、刑訴法一八一条一項但書により原審及び当審における訴訟費用は被告人には負担させないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 半谷恭一 裁判官 浜井一夫 裁判官 林 正彦)

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